サル知恵読書倶楽部

サル知恵読書好きによる知ることを楽しむ読書ブログ

愚者の読書ライフ ~好奇心で広がる無限の楽しみ


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はじめまして 読書が趣味の活字中毒悪人ヅラ 金城 四六(きんじょう 四六)です。☺️
このブログは私が読書によって得た知識や感想などをお伝えしようと考えています。
本の紹介にならない時もあるかもしれませんが、御一読いただければとても嬉しいです。


私は子供のころから本を読むのが好きで、気の向くままに広く浅くの読書人生を送ってきました。

私にとって読書とはエンタメです。マンガやドラマを見るのと何も違いはありません。だからこそずっと趣味として続いてきました。

これまでの読書経験が自分の血肉になっているかというと自信はありません。
知識として頭に収まっているのかというと、これも全然で、ぼんやりとした知識しか残っていません。

私が読書をするのは単に知的好奇心を満たすためです。自分が知らない知識や社会にふれることが面白いと感じるからです。

読書という趣味は無限の広がりをもつ特異な趣味だと思っています。
本の数は星の数ほどあり、好奇心の赴くままに延々と星をわたり歩くようなものです。知的好奇心が尽きないかぎり、どこまでも歩いて行けます。

読書とは何だろう?“読”の多様化の時代 不要な縛りは捨てるべき


ここでひとつ話を変えて愚問を呈したいのですが、
新聞や雑誌を読むことは読書と言えるでしょうか?
NOと答える人は多いと思います。 “本を読む”ことが読書の定義だと考えるからです。

ではマンガ本はどうでしょうか?
これも読書の内には入らないと考える人が結構いるのではないでしょうか。

読書には「教養や知識が内包されている幼稚では無い本を読むべきだ」という固定観念がついてまわります。
つまり読書とは諸要件を満たした本を読む行為だ、という隠然たる社会通念があるのです。

私自身そうした気持ちがあったのは確かで、マンガ本を数十冊読んでそれを読書だと言われれば違和感を感じました。

しかしあらためて考えると「マンガは読書に入らない」と区別する理由が分からなくなりました。

東野圭吾や米澤穂信のミステリーは読書に入り、名探偵コナンや金田一少年は読書ではない、両者の当否を分けるものはなんでしょうか?
単に活字主体かイラスト主体かそれだけの違いではないでしょうか。
マンガ本は厳密に書籍の一種ですから小説文庫本などとの差異はありません、

小説とマンガでは内容に差がある、とすると更に線引きが難しくなります。
どのような内容だと読書にならないのか、 東野圭吾原作のマンガを読むことは読書になるでしょうか?

結局、マンガ本を読書の範疇から排除してしまうとその当否について禅問答になってしまいます。
何十年も昔ならいざ知らず、現代では歴史や政治や金融など社会的テーマを扱ったマンガが山ほどあります。
ヘタな文学小説よりもよほど現実に即した知的な読み物です。

私は特別にマンガ本を擁護したい訳ではありません。情報を掲載する媒体が多様化している現代においては読書への観念もまた、広義に捉えてよいと思うのです。

現代は電子書籍の登場によって、すでに本そのものを必要とせずに読書をすることが可能なのです。
“本を読むこと”という読書の定義は消えたといってよいでしょう。

マンガ以外の新聞や雑誌、はたまたインターネットのニュースサイトや各種情報サイト、ブログも含めて。
“書籍”ではなくとも情報が掲載されているメディアを渉猟することも、読書の1つと意識するべき時代になっています。


メディアの多様化により“読書”はモデルチェンジを果たしました。
かならずしも書物を手に取らずとも読書が出来るのです、であれば“書”にこだわり過ぎる必要はありません。

大切なのは“読む”ことです。
このブログは私が“読む”ことで得た知識や感想をみなさんにお伝えしていきます。