三国志が終わるころ
「死せる孔明 生ける仲達を走らす」
この故事をご存じでしょうか? 現代から約1800年も昔の中国の戦国時代、有名な三国志の時代の出来事です。
三国志でおそらく人気No.1キャラ諸葛亮(孔明)の生涯最後の合戦、五丈原の戦いの幕切れを表したのが上の故事です。
吉川英治さんの書いた三国志ではこの戦いを物語のクライマックスに位置付けています。
そして現代では吉川三国志にとって変わった感のある北方謙三さんの三国志でもこの五丈原の戦いをもって終幕を迎える構成になっています。
"三国"時代は蜀が亡びるまであと30年は続くのにどうして五丈原で終わらせてしまうのか?
吉川英治さんは『篇外余録』という三国志の番外編でその理由を記しています。
(前略)原書「三国志演義」も、孔明の死にいたると、どうしても一応、終局の感じがするし、また三国争覇そのものも、万事やむ――の観なきを得ない。
おそらくは読者諸氏もそうであろうが、訳者もまた、孔明の死後となると、とみに筆を呵す興味も気力も希薄となるのを如何ともし難い。
これは読者と筆者たるを問わず古来から三国志にたいする一般的な通念のようでもある。
共感できるというか納得してしまうのは私だけではないと思います。
読者だけでなく作者側でも孔明死後の三国志は気乗りしないようです。
魏・呉・蜀の三国時代が始まるのは五丈原の戦いの5年前ですので実際には三国時代の最序盤なのですが、たしかに孔明死後の三国志は、スタープレイヤーがいなくなってしまった感じがあります。
加えて三国志“演義”的に面白くないのは、憎き敵役である曹魏のワンサイドゲームになっていくので、余計に興醒めしてしまうのかもしれません。
私も五丈原以降の三国志はよく知りませんでしたが、最近になって宮城谷昌光さんの『三国志』を完読して印象が変わりました。
宮城谷さんの『三国志』は正史三国志をベースにした全12巻という大ボリュームの歴史小説です。
物語の始まりはなんと黄巾の乱が起こるより50年前からという一風変わった書き出しで、司馬炎が晋の初代皇帝となったところで終わりをむかえます。(孫呉の終末は巻末付録の別篇のかたちで収録されています。)
三国時代を最後まで見届けて、少なからぬ見所があると私は感じました。それは
鍾会(しょうかい)や諸葛恪など二代目武将の台頭、郭淮(かくわい)や朱然などのベテラン武将の活躍という、新旧世代の融合であったり。
英雄たちが建国した魏呉蜀それぞれの王朝内で渦巻く血濡れた権力闘争。
異色の名将鄧艾(とうがい)の登場や姜維の不屈の闘志。
曹操劉備時代の三国志とは違う味わいの物語が展開されていきます。
マニアックな魅力たっぷりの三国志終盤戦を宮城谷『三国志』に基づきながら紹介していきたいと思います。
*三国志 終わりへの流れ
先ずは五丈原の戦い以降の三国志の流れを大まかに見てみようと思います。
五丈原の戦いより4年後
- 239年 魏では10歳の曹芳(そうほう)が三代皇帝に即位し、司馬懿・曹爽(そうそう)の2人が後見人となり国政を取り仕切る。
原因を作ったのは皇帝の孫権であるが、問題を解決するどころか、陸遜(りくそん)をはじめ忠告を行った良臣を無実の罪に貶めて死なせてしまう。
- 254年 魏の司馬師がクーデターを起こし、皇帝曹芳を廃して曹髦(そうぼう)を新皇帝に即位させる。
- 260年 魏帝曹髦は権勢が大きくなりすぎた司馬昭を排除するため、宮中の兵など数百人を集めて挙兵するも、司馬氏側についた賈充(かじゅう)らによって殺されてしまう。 曹魏の五代目皇帝に曹奐(そうかん)が即位する。
長々と書き連ねてしまいました、以上が三国志終盤の大まかな経緯です。
孔明死後の三国志は王朝内の権力闘争の連続で、国家の重臣や皇太子や皇帝までも目まぐるしく入れ替わっていきます。
蜀では皇帝の廃替こそ無かったものの
宦官(かんがん)の黄皓(こうこう)が権勢を強め国家運営にただならぬ影響力を持つようになります。
ちなみに上の年表で蜀に関する記述が少ないのは特筆するほどの事変が無かった為です。
姜維が何度も北伐を敢行したのですが、めぼしい戦果が無く国力を消費してしまった、というくらいでしょうか。
曹操と劉備そして孫権が、群雄割拠の時代を命懸けで戦い抜いて苦難の末に生まれた3つの国家でしたが、時が過ぎるにつれ功臣は少なくなり内部から乱れ、やがては消滅してしまいます。
こうした“滅びの美学”と言いますか哀愁を感じられるのもクライマックスならではであります。
三国志終盤戦の見どころを書くつもりでしたが全然書き切れません。😅
また次回も続けていきたいと思います。