サル知恵読書倶楽部

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私たちはシャーロック・ホームズと同じ思考回路を獲得できるのか?

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「初歩的なことだよ、ワトスン君」
シャーロック.ホームズはそう言って、友人が見落としていたいくつもの事実とそれらが紡ぎだす事件の真相を語ってくれます。

ホームズの物語を読むとき、読者はホームズの卓越した観察眼や分析力や推理力を、彼独自の才能によるものだと理解し、その活躍を楽しむものです。
ホームズと共に多くの事件を経験した友人のジョン.H.ワトスンも私たち読者同様に天才の所業の傍観者でありました。

ホームズとワトスン、天才とそうでない普通の人の差は根本的な思考能力の差だと多くの読者は思っていることでしょう。

そのホームズの天才的な思考を心理学や脳科学に基づいて分析、解説しているのがマリア.コニコヴァ著『シャーロック.ホームズの思考術』です。

題名こそ『シャーロックホームズの思考術』となっていますが、ホームズ一人にフォーカスしているわけではありません。
私のような凡人もホームズも含めて、人間の思考プロセスとはどのようなものかということを解説しています。

本書ではホームズ作品からさまざまなエピソードを引用して人間の脳の仕組みや心理や潜在意識の働きなどを解説してくれます。

ホームズと同じ体験をしているワトスンがなぜ必要な事実を見落としたり誤解がおきてしまうのか、人間の思考の落とし穴とそれを回避するホームズの思考プロセスを今回記事にしていこうと思います。


直感的思考プロセス“ワトスンシステム”には落とし穴がいっぱい

人間は日常的な思考習慣として、直感的に物事を判断するということをしています。

これまでの経験や知識をもとに「これは果物だ」とか「これは乗り物だ」などパッと見ただけで認識し判断を下します。

これはいわゆる“観念”のことですが、人間は考えるエネルギーを少なくして楽するために時間をかけずに思考しているのです。

この直感的で安易な思考プロセスを本書では「ワトスンシステム」と名付けています。

ごく普通の思考プロセスである「ワトスンシステム」は無意識で働く自動運転のため、人はこうした思考をしていることは無自覚です。
そして困ったことには、怠慢で注意力に欠けていて、多様な要因に影響を受けてしまいます。

その結果重要な事実を見落としたり、間違った判断を下したり、事実誤認を引き起こしたりするのです。

「ワトスンシステム」がどのような思考プロセスであるか、具体例として本書では『四つの署名』事件の依頼人、メアリ.モースタン嬢を初めて見たときのワトソンの反応を挙げています。

メアリ.モースタンがベイカー街二二一Bに入ってきたとき、ワトスンが見たのは
「小柄で上品なブロンドの若い婦人で、きちんと手袋をはめ、服装の趣味も洗練されていた。だが、着ているものは質素で地味で、あまり暮らしが豊かでないことを示していた。」
という女性だった。この印象はすぐに、ワトスンの頭の中にある、彼が知っている若い上品なブロンド女性の記憶を刺激する。
-念のためだが、これは軽薄な女性像ではない。

このあとワトスンはメアリの容姿を「顔立ちがととのっているわけでもなければ~」としながらも、相当な好印象をもったらしく賛辞を並べ立てています。

しかしこの視覚的印象が思考の落とし穴です。
ワトスンはモースタン嬢の容姿を見たというだけで、彼女の本質を知るようなやりとりを経ていません。
にもかかわらず彼女の性質までも自分の中に作りあげてしまっては、事実誤認のもとになります。

人のいい博士はあっという間に、髪の色と肌、ドレスのスタイルから、それとはまるで関係ない性格診断にまで達してしまった。

(中略)ワトスンは一瞬のうちに、新しい知り合いを肉付けするため、屋根裏部屋にある大量の貯蔵物のうち“自分の知っている女性”というラベル付きの経験を使った。

(中略)このワトスンの傾向は一般的かつ強力で、〈利用可能性ヒューリスティック〉または〈想起ヒューリスティック〉と呼ばれる。

私たちは、ある時点で想起しやすいことを優勢して利用するのだ。そして思いだしやすければ、その妥当性と真実性に、より強い自信をもつ。

上の引用にある屋根裏部屋とは、本書における人の頭脳の例えです。
ワトスンは自分の知識から、想起しやすい人物像をモースタン嬢に当てはめ、それを起点に思考を進めているのです。

こうした思考プロセスは前述したように、
無意識に自動的に進行しています。
ですのでワトスンがお人好しだからとか、軽率であるとかいう問題ではありません。

誰の頭脳にも、ホームズにも例外なく、「ワトスンシステム」が存在して作用しているのです。

第一印象からくる思い込みはワトスンシステムの失敗の一例に過ぎません。
この他にも、先入観・環境から受ける刺激・客観性の欠如・選択力の不足などなど、本当にたくさんの要因が思考に影響してくるのです。

直感的思考プロセスに対処する“ホームズシステム”


間違いを起こしやすい「ワトスンシステム」はホームズの頭脳にも存在している、これは間違いありません。

しかし、多くのかたがご存知のように彼は、常に重要な事実を見逃さず、誤ることなく事件の真相にたどり着くことが出来ます。

そのわけは、ホームズは「ワトスンシステム」が間違った考えを起こさないようにコントロールする思考習慣を身につけているからです。
本書ではホームズのコントロールが効いたその思考プロセスを「ホームズシステム」としています。

こう書くと、『結局ホームズが特別な頭脳の持ち主だからか』、と思われるでしょうがそうではありません。

彼は長年思考訓練を積み重ねることによって、「ホームズシステム」を体得したのです。

このことは熟練の職人が高度な技術や知識を駆使するのと同じで、訓練と習慣づけによって高次な思考プロセスに引き上げることができる、と作者コニコヴァさんは言っているのです。

もちろんホームズのようなずば抜けた思考力に達するのは至難です。

しかし、「ホームズシステム」を意識して努力することは無価値ではないはずです。

「ワトスンシステム」の悪癖を理解し、「ホームズシステム」の思考プロセスをトレース出来るようになれば、その人の思考力は大きく成長することになるでしょう。

次回の記事は「ホームズシステム」とは具体的にどのような思考か、本書から(全てではありませんが)見ていこうと思います。